この間の「葉隠」の記事の中に「必死の覚悟」ということを書きましたが、その後「必死」という言葉に対しての気づきを得る機会がありました。
「必死」というのはもの凄く大変な事のような気がしますが、実は当たり前の事なのだということです。
「必死」という言葉は、必ず死ぬ、と書きます。
一方、私たち人間を含め、生き物には必ず死ぬときがくる。
つまり私たちは誰もがすでに「必死」なのだということですね。
それがいつなのかは分からないが必ずそのときは来る。
何十年も後かもしれないが、ひょっとしたら明日かもしれない。
もし、明日死ぬのだとしたら、今日、今、何をすべきなのか。
いつ死ぬのか分からないからこそ、この貴重な1日1日を大切に生きなければならないわけで、「一期一会」といわれる人との出会いも同じですね。
それを考えると葉隠の、
毎朝、毎夕、改めては死に、改めては死に、常に死に身なっている時は、武道に自由を得て、一生落ち度無く役目を全うできるものである。
という言葉がストンと腹におちます。
死ぬことを考えることは、じつは生き方を考えることに他なりません。
長生きしそうな性格ではありますが、いつ死んだとしても後悔しない人生を送っていきたいと思います。
三島由紀夫が、唯一座右の書としていたという「葉隠(はがくれ)」の中の有名な一句です。
今年の初め頃にふと、読み返してみたくなり、寝る前などに少しずつ読んでいます。
何故今、読みたくなったのかは分かりませんが、最初に読んだのは10年以上の昔のことで、そのときも大きな感銘を受けました。
三島由紀夫の生き方(死に方)にこの本がどのような影響を与えたのか、三島由紀夫というと「潮騒」一冊しか読んだことの無い私には分かりようもありませんが、現代の風潮や価値観からは、まったく違うところにあるような本で、背筋がピンと伸びてくるような非常に良い本です。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。」
全文を現代風に訳すと、
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武士道の本質とは死ぬことだと知った。生か死かを選ぶ際に、死ぬ方を選ぶというだけのことである。別に難しいことはない。腹を据えて進むだけである。
二者択一で正しい方を選ぶのは、とても難しい。
人は誰しも死ぬよりも生きる方がよいものである。だからこそ生きる方を選ぶことに理由をつける。
ただ、生きる方を選んで失敗して、なお生きているとすると腰抜けといわれることになる。しかし、死ぬ方を選んで、失敗して死ぬと、犬死にだといわれるかもしれないが、恥ではない。
これが武士道の本質である。
毎朝、毎夕、改めては死に、改めては死に、常に死に身なっている時は、武道に自由を得て、一生落ち度無く役目を全うできるものである。
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となる。
江戸時代も、葉隠が書かれたころになると、泰平の世となり、男が女性化したがるような風潮もあったようです。
若侍たちの話しの内容が、お金の話しや、損得、内緒事、衣装(ファッション)、色欲ばかりになっていることを憂う文章も出てきます。
今と変わりませんね。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、そのまま聞くと物騒な感じさえする言葉ですが、これを書いた山本常朝(やまもとじょうちょう:江戸時代の鍋島藩の藩士)は武士として、もっといえば男としての態度や「必死の覚悟」といったものを伝えたかったのだと思います。
葉隠には、「酒の席での心得」や「心の持ちよう」、「立身出世」、「芸は身を滅ぼす」、「子供の育て方」、「つまらない仕事こそ一生懸命にやる」、「七転び八起き」といったような、生き方や処世術といったものを教えられる部分がたくさんあります。
江戸時代の武士たちの、現代のビジネスマンである私たちと変わらない様子は、不思議な気もしますし、身近に感じて可笑しいような気もしてきます。
身が締まる気持ちになりますが、決して取っつきにくい本ではありません。
男として、読む価値のある本だと思います。
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葉隠入門 (新潮文庫) 著者:三島 由紀夫 |
おしりかじり虫というのが流行っているらしい。
正月に親戚の家にいったら、義兄の幼稚園児の次男が「おしりかじり虫」のぬいぐるみを持ってきていた。しかも歌まで歌うぬいぐるみである。
単調ながらPOPなメロディがヒットの理由を感じさせる。
単純な線のキャラクターであるが、聞いてみると、作者は「うるまでるび」さんであるとのこと。
たしかにこの雰囲気は覚えがある。
「うるまでるび」さんとは、「うるま」と「でるび」の夫婦ユニットで、97年頃、私が最初にホームページをつくった頃に、著書である「踊るホームページ (たぶんもう絶版だと思う)」でお世話になった。
本の内容は、 JavaやShockwaveを使って動画のホームページを作るというもので、当時、文字と写真の表示がやっとだった時代には、強烈なインパクトがあったものである。
自分でも、アニメーションを作って動いたときの感動は今も覚えている。
懐かしい気持ちで、「うるまでるび」さんのホームページを見てみると、1995年から12年間イラスト日記というものをつけているそうだ。
うるまさんが、インタビューでおしりかじり虫のヒットを予測していなかったというよなことを答えていたが、日々続けてきたことがヒットにつながったのだろうな、ということを強く思った。
「おしりかじり虫ぃーー♪」のメロディーが頭から離れません。。。
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NHKみんなのうた おしりかじり虫 アーティスト:おしりかじり虫 |
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
さて、新年早々プロフェッショナルということについて考える機会があった。
いわゆるプロとはどういう人のことなのだろうか。
よく言われるのが
フィーをもらって仕事をする人
その道について熟知している専門家
その仕事をするのに十分な技能を有している人
といったところだろうか。
フィーをもらって仕事をするのがプロだとしたらアルバイトであってもプロなのだろうか、そうでなければ正社員はプロなのか。
どちらも少し違うようである。
また、その道の専門家や技能を有している人とは、プロフェッショナルというよりもスペシャリストといった方がよさそうだ。
では、真のプロフェッショナルとはどのような人のことなのだろうか。
プロというのであるから、当然のことながら趣味などではなく、仕事に対してでなければならないであろう。
そう考えると、仕事において高い価値を創出できる人がプロであると考えても良いのではないかと思われる。
仕事においての価値を判断するのは、市場であり、もっと端的に言えば顧客である。
プロというと、自分の成長やスキルアップのみを考えがちだが、大切なのはどれだけ自分のスキルが高いかではなく、どれだけ価値のあるものを創出したか、であろう。
そしてその対象は顧客でなければならない。
一般的に、プロフェッショナリズムを論ずるときには、このもっとも大切な「顧客に提供するサービス」という観点が抜けていることが多いように感じる。
仕事とは自分のためだけではなく、誰かのために行うべきものである。
真のプロフェッショナルとは、
自分が携わる仕事を遂行するための高い専門知識と技能を有した上でそれをさらに高めていこうとする向上心と自分を律する厳しさ、高い倫理観、そして市場環境の変化を的確に捉える能力を持ち、顧客に対して期待を上回る価値を提供できる人のことをいうのだと思う。
今年一年、真のプロフェッショナルであると胸を張れる仕事をしていきたい。
以前、「創造とは、逆境のなかでこそ見出されるもの」という、ルイス・カーンさんの言葉を紹介したが、本田宗一郎さんの著書の中にも、同じ意味の言葉があった。
発明、創意工夫なんてものはぎりぎりの線までいかないと出てこない。(中略)
壁にぶつかったときにそれをじっと我慢して乗り越えたときに発明、創意工夫があるように・・・
(本田宗一郎著 俺の考え より)
頑張ればぎりぎりのラインまでは行ける。
さらにその先に行けるかどうか、あるいは逆境にさらされたとき、くじけずに頑張れるかで、何かを成し遂げられるかどうかが決まるように思います。
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俺の考え (新潮文庫) 著者:本田 宗一郎 |
「秘伝すごい会議」という本を読んだ。
読んでみたら勉強になる点がたくさんある本でした。
ファーストチェスの話しという箇所があって、
【問い】
「5秒で出した答えと30分考えて出した答えでは、何%ぐらいが同じ答えだと思いますか?」
チェスには名手を育てる、ある方法があり、どのように育てるかというと、5秒で答えを出す早指しの訓練なのだそうです。
問いの答えは、5秒で出した答えと、30分考えて出した答えの86%は同じ答えなのだそうです。
自分自身を振り返ってみても「確かに」と納得しました。
5秒で判断する訓練をしていこうと思います。
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秘伝すごい会議 著者:大橋 禅太郎,雨宮 幸弘 |
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